ありがとう田辺監督!

ライオンズの2016年シーズンが終わり、田辺監督が退任した。そして、辻氏が田辺監督の後に就任することが発表された。

田辺監督は、休養した伊原監督を受けて監督代行として2014年シーズン途中から指揮をとり、2015,2016年シーズンは監督としてライオンズの指揮を取った。しかし、結果は3年連続のBクラス。優勝争いに絡むことなく監督を退任することになってしまった。

個人的には田辺徳雄という人間は好きである。ただ、監督として「持っていなかった」だけである。

2014年シーズンは、監督代行という形であり、伊原監督が秋季キャンプ作ったチームをシーズン途中で作り直すこともできず、淡々と試合をこなすだけであった。

そして監督代行から監督への昇格である。潮崎2軍監督が目論まれていたところ、田辺氏本人は、監督になることは夢にも思っていなかったであろう。そして、監督となりチームフロントから預けられた助っ人とは名ばかりの、足を引っ張りまくる選手たちは、ルブランに始まり、セラテリ、バスケス、バンヘッケン、C.C.リー、ポーリーノまで続いた。「Youは何しに?」と言いたくなることだっただろう。

フロントの邪魔はこれだけに留まらず、潮崎ヘッドコーチ兼投手コーチの就任、橋上作戦コーチの就任と、田辺監督が自由に采配を振るうことができる場面はほとんどなかったのではないだろうか。シーズン序盤から中4日で回して投手を故障させてしまった投手コーチに、打順をコロコロ入れ替える日替わり打線で打者の状態の低迷を招いた作戦コーチである。

監督としてうまくいかなかった2年あまりの歳月、悔しさはいかばかりか察するに余りある。もちろん最終決定権は監督にあり、監督に責任があることは間違いない。しかし、常にコリジョンルールでは負け、やることなすこと全てが裏目に出るのは勝負師、監督として資質がなかっただけである。

監督への適性がなかっただけで、中村、栗山らを育てたコーチとしての腕は非常に優秀であろう。いつの日かまたライオンズのユニフォームを着て現場に戻ってきてほしい。そして現場復帰した暁には、「1本が出る」打線を作り上げて欲しい。

最後に田辺徳雄元監督に一言だけ言いたい・・・ありがとう!

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